愉々しき雑録

愉な記憶を徒然な感じに残してゆこうかと

自分にとってのRX-7という存在を今 追憶編

My RX-7(FD3SⅥ型)

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はやいものでうちにきて14年が経とうとしている
現在の走行距離は約48,000km 年式に比すれば走行距離は少ないほうで 自分でいうのもなんだがコンディションは良い

一昨年息子が免許を取り クローズドコースで 
 そして今年 公道で
  RX-7をドライブさせた

息子にはRX-7入手に至る過程はざっとは説明してある
しかし まじまじと話したことはないので 
「いつか この記を息子が目にする機会があったら 伝えられたらいいな」
 という想いもこめつつ
この RX-7(以下 FD )に乗ることになるまでの経緯から ここに記憶の整理を記すことにする
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25年前 就職して初めて買った車はEunos Roadster(NA6CE)
しかし 本当に欲しかったのはFD
  まずはデザインにやられた
  ボディカラーは初期型に設定されていたコンペティションイエローマイカ
そんな自分がなぜFDではなくRoadsterに乗り始めたか?

 あの項 速さ はアイデンティティでありステータスになりえた

ここでいう 速さ には マシンが有するスペック
 それを使うことのできるドライバーのスキル 
   の2つベクトルがある
前者はマシンに注ぐことのできる財力に相関するが
 後者はそこに依存する幅は少なく ドライビングに費やした時間が向上をもたらせてくれるものであるといえる
しかしそのスキル獲得には センス が重要であることは語るまでもないだろう

センス が乏しいと感じていた自分 でも
 車を自由に操り颯爽とワインディングを駆ける姿に憧れがあった

RX-7はデビュー当時 ホントウにステキだった
 カタログを眺め実車を見ては 溜息がでていた
歴代RX-7は自分的に日本の車の中でも 
 単純に カッコイイ と形容できるデザインを持っていた
中でもFDは最高だと思うし 今現在見ても それは変わらない
 
しかし 就職したばかりの経済力では その車体は高嶺の花
    任意保険も高額
    4km/ℓといわれた燃費  
      これらは 購入を躊躇わさせるには十分すぎた

 そこで候補にあがったのが
   オープンボディに使いきれるパワーの後輪駆動
   マツダのうたう人車一体というキャッチをかかげたRoadsterだった
 さらに決め手になったのはボディカラー
  サンバーストイエローという濃い目の黄色をまとった
  J-limitedという800台の限定車

当時ロードスターは人気が高く
 この限定車は購入権利の抽選という形で販売されていた
Roadsterを手に入れたら イエローに塗り替えたい と思っていた自分
  サンバーストイエローの車体はまさにその思いが具現化されたものだった

「これ 当たったら買ってもいいかな」
くらいのかるい気持ちで 販売店で申し込みをした

結果 購入権利は ハズレ の連絡

 その1週間後 販売店から電話がありキャンセルが出たとのこと 
 返事は3日待つ というようなことをいわれ ちょっと考え 購入を決めた
 契約の際 オプションでマツダスピードの4点式ロールバー装着を追加した
 
 その時の 担当者が見せたりアクションは忘れられない
「これ 限定車ですよ ロールバー装着はボディ加工が必要ですから
 下取りに出すとき査定下がりますよ  元に戻せませんけど 本当にいいんですか?」と 
当時 この販売店ではロールバー装着作業が未経験でありちょっと困った顔をされたが...
 
 契約から約二ヶ月 サンバーストイエローのRoadsterと対面した

 ここから自分の車に対する考えが変わってゆくことになる
 
 乗れば乗るほど愉しい

オープンで乗る爽快さと
Roadsterのどこかノスタルジックでキュートなルックスも相まって 
 ワインディングを走ることが愉しくて仕方ない

ここで得られる愉しさは 速さ ではなかった
もっと愉しく 気持ちよく 走らせたくて
あれこれ情報を集めながら 財布と相談しながら
自分なりのモディファイを施した

工賃浮かすためにいろんなことも覚えた
自分で触ると車の構造も良くわかってくる
当時の仕事にはまったく役に立たない車の知識

仕事半分だったことも今となっては否めない
が それが当時の自分だった

そして
 せせこましく走る秩父界隈も
ふみきって走る箱根界隈も

何処走っても愉しくて サーキットいったり ジムカーナやったりもして 1年で15000kmをこえた

1993.jpg
 23歳当時 筑波サーキットに出没していた頃 driver という雑誌の取材を受けたときの一コマ
  思いっきり安全にアクセルを踏めるサーキットは愉しかった


この頃には 人より速く走ることが目的ではなくなり
 気持ちよくドライブする ことが中心で 釣りはほんとにしなかった時期でもある
一方で「次に乗るなら」ということの意識もでてきていたりして 
 憧れの車は FDからCaterham Super SEVENにかわっていたり
 
相変わらず給料に占める車への支出は多かったが 
 2年目になりある程度仕様も固定し ガス オイル タイヤ代くらいの支出になった
 若干落ち着いたかに感じたが それでもドライブすることは愉しかった

2年目の終わり頃 結婚した
そして 子供ができて だんだん奥方のお腹が目立ってきて
ある日 奥方の言葉に衝撃うける
「この車だと乗り降りたいへんだし この乗り心地じゃ流産するかも」

たしかに コーナリングの気持ちよさのために固めた足まわり 
 バキバキに効くL.S.D フルバケットでは...
ということにようやく気づいた 今まで我慢して乗っていたのだろう 
「もう 自分の楽しみだけでは生きていけないんだ」と

そして 奥方が妊娠7ヶ月になるころのある夜 

Roadsterはうちから消えた

今でも遠ざかるあのエキゾーストノートは 耳に残っている気がする

「いつか また 乗れるときがくる」

その夜は そう言い聞かせ  
  胎動を感じる奥方のお腹をさすりながら眠りについた

臨月になったころ
「子供が生まれておちついたら スーパー7買えるように貯金しよう」
 これから子育てに金がかかる時期だというのに そんな 奥方の言葉に励まされ 
しばらく ファミリーカーで落ち着くことに決めた

(車の趣味から開放された後は ブラックバス釣りにのめりこむことになるが....このときは知る由もない)

次回 覚醒編 

to be continued











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